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(↓ Letters #001 からつづく。)
(中略)
> 「ある場合」と「ない場合」について既に適確な判断がなされていますよね。(笑
> やはりライン引きの問題に収束する事だと思います。
> 例えば、ミニマルの「歴史的意義」のようなものをよく理解していて、
> ライヒが20分あっても最後まで楽しく聴いていられる人もいると思いますが、
> 単発で聴くものとして「どのへん」が良いのかということに関して、
> 僕の音楽としての落とし所はこのへん、ということです。
「音楽」と「語る」ことは仲が良いようでもあり、悪いようでもあります。
仰るようにミニマルやジャンルや名立たるバンドは論として「語られます」
よね。音源を聞く前の前提としての知識としての意味ではレヴューなども
当てはまると思います。既にそれらで自分中で軸が出来てしまい
「聴く」という行為は「確認」に陥っていることすらありますね。
これは日本人の旅行観にも通づるところがあるのでしょう。
踏まえると何も知らずに音楽を聴くというのは恐ろしいことなのかもしれませんね。
> 無限にループさせて永遠に「漂わせておく」という使い道もあって、
> 製作途中に試したりもしました。
> その場合はやはり「ない」方がいい気がしますね。
「単発」で、曲が出来ました。20分です。というのは出来ません物ね。
初めて聞かせて頂いた時に僕の性質の問題だと思いますが、
子供達の声が「ネタ」的に聞こえてしまった部分があるんですよね。。
テクノというものはそれをボコーディングで避けていたりする訳ですけど。
でも、それが聞いていると一体の音楽として成立していて
とてもキュートに仕上がっているのは
(申し訳ありません。他にボキャブラリが見当たらず仕方なく使います お許しください。)
りんたろうさんのセンス(出来ればあまり使いたくないなあ。この言葉)の成せる技だと思いました。
(後略)
長くなりました。今後とも。 |
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お返事。 |
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(前略)
> 「聴く」という行為は「確認」に陥っていることすらありますね。
最近はことそう思います。勉強の為に音楽を聴く事が増えました。
昔は本当に、「じーんとする事」だけを単純に追い掛けて音楽メディアを辿っていたけど、
この頃は「ある音楽が成立するまでの経緯」みたいなのを理解するために、
年譜や系譜などから新しく音楽を聴く機会が多いです。
でも、そうやって「趣味」がほとんど介在しない音楽の選び方をしても、案外
「い〜な〜」と思う曲には当たったりして、さすが名曲というのはバカに出来ません。
> 子供達の声が「ネタ」的に聞こえてしまった部分があるんですよね。。
そうですね。この辺りはまさに聴き手の想像力次第で如何様にも変わりそうです。
一体の音楽として成立していて、キュートに仕上がっている、と感じる部分はまさに
スナガさんの「聴くセンス」の為せる業、ということだと思います。
では。ごゆっくりおやすみ下さい。 |
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2003年 5月 9日 (木)
岩下倫太郎 |
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