お便り紹介。
GWはいかがお過ごしでしたか、須永です。

(中略)さて前置きはこれ位に致しまして。
何故メールを送らせて頂くかというと、
蝦型の御社の音源がとても気持ちよかったからです。

「すげーいい。」


以下、私見です。
キュートな子供達のご挨拶が「前」のように、
そしてふわふわと流れ続ける音楽が「後ろ」(≒背骨)のように感じました。
つまりは子供達の声をすばらしく、意味深く、伝える為の音楽の様に聞こえました。
しかしながら僕が良いと思ったのは屋台骨として流れ続ける音そのものでした。
甚だ失礼ながら書かせて頂けるのならば、
子供達の声が「余計」とすら思えるくらいでした。

浅はか也とも考えますと、あの「子供達の声」が無ければ
本当にアンビエンスでミニマリな、
そして聴く人限定してしまうような音楽になってしまうのかなとも思います。

それでも私はふわふわとしっとりと流れ続ける音の
気持ち良さに耳がいってしまいました。

今後とも宜しくお願い致します。
2003年 5月 7日 (水)
スナガさんからのお便り
スナガさんのサイト:http://dreamcity.gaiax.com/home/ksuque
お返事。
僕は、休んでると働いてるとがどこで切り替わってるのか
良くわからない生活をしています。(笑

さて、レビューどうもありがとう。
率直に誉めてもらえる事が、とても嬉しいです。
やっぱり、それが凄く大切なんだという事を痛感しています。

> キュートな子供達のご挨拶が「前」のように…
 例えば、音像的に「後ろ」にある子供達の騒ぐ声に「音楽」を感じる
 とも言えると思いますが、逆の考え方もある、という
 とても良い解釈だと思いました。

> 浅はか也とも考えますと、あの「子供達の声」が無ければ
> 本当にアンビエンスでミニマリな、そして聴く人限定して
> しまうような音楽になってしまうのかなとも思います。
 「ある場合」と「ない場合」について既に適確な判断がなされていますよね。(笑
 やはりライン引きの問題に収束する事だと思います。
 例えば、ミニマルの「歴史的意義」のようなものをよく理解していて、
 ライヒが20分あっても最後まで楽しく聴いていられる人もいると思いますが、
 単発で聴くものとして「どのへん」が良いのかということに関して、
 僕の音楽としての落とし所はこのへん、ということです。

 無限にループさせて永遠に「漂わせておく」という使い道もあって、
 製作途中に試したりもしました。
 その場合はやはり「ない」方がいい気がしますね。

ではまた。
2003年 5月 8日 (木)
岩下倫太郎
(↓ Letters #002 へつづく。)
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