時代の変遷によって、音楽の受け手の感覚は想像以上に変化していき、かつては雑音としか思われなかったものが音楽として受容されていきました。果たして、モーツアルトの時代にエレキギターがあったとして、それが一般に楽器として認められたでしょうか?

 「フェルトの猫」の全ての楽曲は、「現代音楽がポップミュージックの新しい選択肢として受け入れられると面白いのではないか」 という視点から制作されています。

 現代音楽がポップミュージックになり得るために必要だと私が考えたのは、それが既存のポップミュージックと全く同じ次元で扱われることでした。ここで障害となるのは、作り手の側が現代音楽を難解な説明文で囲い込んでしまっている現状であり、そのために成立してしまっている「現代音楽は難解で閉鎖的である」という受け手側の常識です。(受け手側に「ハートがない」と批判されることが多いため、作り手が「単純な」音楽ではないことをあれこれ説明せねばならない。という風に、因果関係を逆に定義する事もできます。)

 ここへメスを入れるべく企画されたのが「”この世で最もつまらない音楽”展」です。ここで私は、ある音楽を「つまらない」と評価する際にあなたが「直感」と呼ぶ「それ」は何か?と問いかけます。これは「現代音楽はインテリ趣味で心に響いてこない」という側、「ポピュラー音楽は愚民迎合で堕落している」という側、双方の持つかたくなな「常識」への問題提起です。

 さらに、「フェルトの猫」の収録曲のほぼ半数は、あえて、現代の一般常識で音楽であると判断できる音楽で構成しました。これは、私が現代音楽作品と、それらのポピュラーな音楽作品を、まったく対等に感じ、分け隔てなく扱っているという事を示すものです。

 結果として、このアルバムは非常に特殊なアルバムとなりました。前回のアルバム製作から数えると、実に5年の歳月を費やして完成したオリジナルソロアルバムです。好意的なものでも、否定的なものでも、受け手の皆さんに何かしらの印象が残れば幸いです。
岩下倫太郎
01. 「バックグラウンド・ミュージック」 Background Music
02. 「ハザード」 Hazard
03. 「クライ・クライ」 Cry Cry
04. 「ピクトグラム 1」 Pictogram 1
05. 「ニュー・リズム」 New Rhythm
06. 「踏切」 Railway Crossing
07. 「6台のピアノ」 6 Pianos
08. 「ラジオゾンデ」 Radiosonde
09. 「フロン 116」 Freon 116
10. 「マフラーを織ってみましょう」 Let's weave a scarf
11. 「ストラクチュア」 Structure
12. 「お砂糖ふたつ」 Two spoons of sugar
13. 「トランスファ」 Transfer
14. 「君が代」 Kimigayo (Japanese National Anthem)
15. 「DSIおよび乱数2」 DSI + random 2
16. 「Landscape A